Friday, June 15, 2007

第五世代コンピュータ

1982年。当時の通商産業省(現経済産業省)が旗振り役となり
10年以上の月日と570億円という国費を投じスタートした国家プロジェクト「第五世代コンピュータ」という言葉を覚えている人は、今どのくらいいるだろう。

「人工知能が人間知能(人間脳)を越えること」
すなわち人間の脳は高速処理や大量処理には向いていないので、
それを越える人工知能をつくることが目標と説明された。

当時の欧米からは
「日本が官民一体で高度な人工知能マシンを開発しようとしている」と危機感をもたれ、朝日新聞などのマスコミも大々的に取り上げた。
非ノイマン型の「考えるコンピューター」を作ろうというこの壮大な計画は、しかし結果的にはコンピューターテクノロジーの世界に何ももたらさず、日本得意の「税金の無駄使い」をしただけで終わった。


なぜか?

 「考えるコンピューター」とは、いったい何を目指しているのか?
  コンピューターとはいったい何なのか?
  辞書的・分析的に記号化された「知識」が人間の言語といえるのか?
 
そうした哲学的命題を論じないまま、技術的な次元にのみ焦点をあてたことがこのプロジェクト最大の敗因といえるだろう。


・・・にしても、そもそもコンピューターとは何なのか?

欧米のコンピューター文化の底流にはユダヤ的知性が流れているといわれている。それが、12世紀ごろに成立しアリストテレス哲学や中世の自然科学と結びつき、13世紀スペインのフランシスコ会士ライムンドゥス・ルルスの「アルス・マグナ(大いなる術)」、17世紀ライプニッツの「普遍記号学」へ繋がり、総合的な体系をつくりあげていった「カバラ・神秘主義」である。

本来カバラ原義というのは「神が密かにあたえた隠された言葉」を伝承するための暗号法のようなもので、ルールにしたがって数理的に記号が操作されていく一種の〈思考機械〉といえるのだが、何千年に渡り迫害を受けてきたユダヤ人にとって、カバラはアイデンティティーを保つための普遍論理思考の基礎であった。それが近年において欧州での迫害から追われたユダヤ系知識人とともに米国に渡り、「一つの形」として結実をみたのが知識処理型コンピューターなのである。

放浪文化をロジックにたよって生きてきたユダヤ人。その彼らの文化・知識から生まれた論理的な言語知識を詰め込んだ知識処理型コンピューターを、土地に張り付いた土着文化で、ロジックなど不要(むしろ邪魔)であった日本人が使いこなすのは容易であるわけがない。
その結果、第五世代コンピュータは「何のために、何をやっているのか」が不明のまま迷宮の闇に入り込んでしまったのだ。

◆アメリカのコンピュータ文化のユダヤ文化の潮流
コンピューターのベース「ノイマン型コンピューター」を創った、天才的な数学者であり、7ヶ国語に通じる言語学者、経済学者でもあるJ・フォン・ノイマン。
※「第五世代コンピュータ」は天才的数学者ノイマンを越えるものを目指したわけだ。
マイクロソフトのビルゲイツ、Machintoshの生みの親ジェフ・ラスキン、コンパック創業者ペンジャミン・ローゼン、パソコン流通に革命を起こしたDellのマイケル・デル。


さらに言うなら。
ロジカルさを受け入れない日本独特のカルチャーは
米国のスタンフォードやMITが次々にハイテク・ベンチャーを生み出すにも関わらず、日本の大学にそれが出来ない、大きな理由にもなっている。

「金儲けは悪」「研究職は聖職」
これが足かせになって、たまに例外的にビジネスセンスがある研究者が現れても、やっかみから「あの教授は大学で給料をもらいながら、サイドビジネスで金儲けをしている」などと足の引っ張り合いが起こるらしい。そこには、なぜ金儲けが悪なのか?の論理的説明は一切ない。
武家の伝統・清貧思想が現在も生き続けているのだ…というのなら、それはそれで大変美しい。その精神で進んでいけばよい。だが一方で、政治家・役人の品性卑しい言動が日々ニュースを賑わしている日本。そこには論理性にかける矛盾だけが見えてくるのだ。

税金を無駄使いし、グローバルに太刀打ちできる人材を育成もせず、国民の保険料を無きものにしようとしている『日本・Nihon』は、いったいどこへ進もうとしているのか・・・

などと、祖国への憂いを馳せつつ
梅雨入りしたとたんの青空を見ながら~Tasty coffee~を飲むワタシ。
やはり矛盾だらけだ(笑)

1 Comments:

At 12:14 PM, Anonymous ノース said...

一風変わった脳内構造のホームページがあるのですが、よろしければ ご批評願えないでしょうか?

 

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