日記
アメリカでこれまで未公開だった『マザーテレサの日記』が公開されたそうです。
マザー・テレサことアグネス・ゴンジャ・ボヤジュは、オスマン帝国領のコソヴォ、ウシュクブ(現代のマケドニア共和国のスコピエ)でマケドニアに住むカトリック教徒のアルバニア人の両親のもと三人兄弟の末っ子として生まれました。マザーは指導的な修道女への敬称でテレサは修道名です。
そのマザーテレサがコルカタ(インドのカルカッタ)で始めた貧しい人々のための活動は、「神の愛の宣教者会」として後進の修道女達によって全世界に広められ、生前からその活動は高く評価され数々の賞を受賞しています。
1973年テンプルトン賞を、
そして1979年にはノーベル平和賞、
1980年にもバーラ・ラトナ賞など多くの賞を受け、1996年にはアメリカ名誉市民に選ばれています。(ちなみにアメリカ名誉市民はわずか6人)
ノーベル平和賞では受賞者のための晩餐会出席は断った彼女ですが、賞金6000ドルはカルカッタの貧しい人々のために…と受け取り、「このお金でいくつのパンが買えますか」とたずね、そのときのインタビューでの「世界平和のためにわたしたちはどんなことをしたらいいですか」という問いかけには「家に帰って家族を大切にしてあげてください」と、きわめてシンプルな答えを返したのです。
1997年9月5日、世界が見守る中「もう息ができないわ」の一言を残し、87年の生涯を終えたマザーテレサの葬儀はインド政府によって国葬として行われましたがインドの大統領や首相以外で国葬となったのは彼女だけです。彼女が亡くなったとき「神の愛の宣教者会」のメンバーは4000人を数え、123カ国の610箇所で活動を行っており、活動内容はホスピス、HIV患者のための家、ハンセン病者のための施設、炊き出し施設、児童養護施設、学校などに広がっており、その功績により2003年10月19日、教皇ヨハネ・パウロ2世はマザー・テレサを列福し福者であると宣言しました。これは死後福者にされるまで通常50年必要とされていることを考えれば、死後6年での列福というのは異例の早さでした。
そんな彼女のが残した言葉です。
きっと固い神への信仰の文字が綴られているのだろう…しかし、そこには私達がもつ一般的なイメージとは程遠い、40年以上も神への不信に苦しみ信仰を失いそうになる自分との辛い闘いをしてきた人間の姿があったというのです。
記事によると彼女は
「私の笑顔は自分の心の奥のとてつもなく大きい苦しみを隠すのに役立ってくれた」と書き、「神は私を必要としてはおらず、神は万能の神などではなく、そもそも神など存在しないのだ」という信仰への不信感に苦しめられていたそうです。1946年汽車に乗っていた際に「最も貧しい人の間で働くように」という神の啓示を受けてからの50年間は<神への不信にゆれていた人>それが本当のマザーテレサだっというのです。来月アメリカでは本となり出版されるますが、これによって既に書かれている書物には大きな書き換えが必要になるだろうと言われているそうです。
誤解をおそれずに言えば、恵まれた環境にいる人には神などいらないのかもしれません。「おまえは本当に信じているのか?」と叫びたくなるような試練のなかにあって、神への信仰を糧に奉仕活動を最期まで貫いたのであり、それこそが彼女が賞賛されるべきところだと思うのです。人は生きることに真剣に立ち向かえば向かうほど悩みは深くなり、現実が厳しければ厳しいほど、信念と不信の間を激しくゆれ動くような気がします。
神からの啓示どおり「貧困が最も際立った所」を選んで奉仕活動をしてた彼女が目にする現実は、「本当に神はいるのか!」という程に凄まじく厳しいもので あったでしょう。それに対峙する人間の無力さへの絶望感も感じていたはずです。その中で彼女はゆれ、世界中から崇拝されればされる程深い孤独をかかえて いったように思います。それを思うとき、神のような人と思っていた彼女が今までとは比較にならないほど身近な存在に感じます。
そしてマザー・テレサが残してくれた多くの言葉が、実は彼女自身に向けられた自らを励ますためのものではなかったのか・・・と思うと、彼女の言葉はこれまでとは違う輝きを放ち、もっと深く、もっと重く心に届くのです。
来月の出版が楽しみな本です。
英文ですが興味のある方は是非お読みください。
マザーテレサの記事

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